建築のちから
開催日:2017年3月25日
ゲスト:高池葉子(高池葉子建築設計事務所)
執筆者:伊地知 さやか & 井浦 彩花
昨年の年末のこと。
3月に行われるケンペケカゴシマの進行役と聞き手役の依頼をいただいた。
忘れもしない3.11から6年。また隣県の熊本で震災が起きて一年が経とうとしていた。
鹿児島に震災が起きた時、何ができるのだろうかという疑問はあったが、遠くで起こり実際に被災した訳では無い自分達にとって、悪く聞こえるかもしれないが対岸の火事の感覚。
忘れてはいけない事だと頭では理解していても、直接的に行動することはなく、6年が経過した現在も「復興途中である」という程度にしか思えていなかったのが現状である。
今回のゲスト、高池葉子氏は伊東豊雄建築事務所在籍中に東日本大震災の復興活動に早い段階から関わり、現在も東北との関係を継続しながら、自ら立ち上げた設計事務所での活動をしている。
同じ「建築」という分野とはいえ、ある意味畑違いの分野で建築というものに携わっている私たちに、そのような大役は務まるのかと不安は大きかった。
だが同じ建築という分野の中で、一人の建築家として女性として活動している高池氏の、建築に向き合うモチベーションや、案件を整理して作品へ落し込まれていく術を肌感覚で感じてみたいと思った事が依頼を受けた理由でもある。
ある意味、私たちにとっての課題をここで改めて感じどう動くのかという挑戦的な場でもあったのかもしれない。
「建築のちから」と題して行われた今回は、伊東豊雄建築事務所でプロジェクトメンバーとして携わった「みんなの家」と、独立後に自らのプロジェクトとして携わった「馬と暮らす曲がり家」
を中心とした、東北との関わりや建築家としての復興支援という目線からレクチャーが行われた。
プロセスアーキテクト
レクチャーの初めに出てきたのは、自身の分析で作られた建築家とその在り方に関する相関図。
純粋な建築の分野で活動する「アーキテクト」から、街の課題を抽出し整理して解決を行う「ソーシャルアーキテクト」。空き家や空き地の活用を考える分野など、過去から現在に掛けての建築家の思想がまとめられていた。
その中で自分はどこに在り続けたいか。
高池氏は「アーキテクト」と「ソーシャルアーキテクト」の間を模索していた。
それが「プロセスアーキテクト」である。
これは高池氏自身が考えた自らが目指す建築家の在り方である。
「プロセスアーキテクト」の定義は模索中ではあるが、建築での表現や印象の前の工程や過程に重きを置き、「人」を意識し、「人」に寄り添い、その建築に生涯を通じて関わっていく仕事を続けることだと話す。
「表現」という印象の強い建築家のフィールドの中で、人に近いところで設計を行い、その場を利用する人の話を聞き、利用するであろう人の姿を想像しながら設計することに重きを置いている高池氏。
ある意味泥臭い作業なのかもしれないが、この地に足を付けた作業が高池氏にとってのモチベーションでもあるのかもしれない。
そして、建築を表現するための人、建築に携わる人、建築に住まう人には様々な過程があり、そこに息づく人々の営みや歴史から、どう変わっていくか予測できない未来までが「プロセスアーキテクト」として形成されるのではないかと感じた。
みんなの家
高池氏が現在に至るにあたり、大きな影響力となったのが「みんなの家」である。
3.11直後に仙台入りをし、現実なのかと目を覆いたくなるような光景を目の当たりにした高池氏。
東京へもどり、伊東氏を始めスタッフで「我々に何ができるか」をすぐに話し合ったという。
避難所での住民の方々の暮らしを思い出し、密度の高い住環境の中で、人と人とがゆとりあるスペースでお茶を飲みながらゆっくりと過ごす場所の必要性を感じた。それは避難所の中のリビングスペースのような場所。
これが後の「みんなの家」の原点であった。
その後、伊東氏は釜石市の復興アドバイザーへ就任。
復興プロジェクトのメンバーとして東北へ足を運ぶ機会も増えていった高池氏。
被災地をめぐり、現地の生の声を聞き、現地の方々と、とことん向き合う。
これまで「人」との距離から離れた場所で建築の仕事をしていた高池氏にとって印象深い経験ばかりだった。
だが、金額が大きいプロジェクト程、実現されない。建築が入り込めないという現実があった。
そこで、自らが立ち上げることのできる小さい規模での形であれば実現できるのではという想いから、伊東氏を始め、プロジェクトチームによる「みんなの家」が始動した。
「みんなの家」を始動するに当たり、これまで作家性の強い作品を作り続けた伊東氏から出た、「建築をゼロから考えよう」つまり「表現を捨てる」という言葉。その言葉に、周囲は驚きを隠せなかったという。
しかし、伊東氏と現地を共にした高池氏には、何の違和感も感じない言葉だった。
それは、人々の生活が奪われた無の状態から、次の瞬間に必要なものは何かを探求した結果だったからだ。
「みんなの家」は、「表現を捨てる」訳では無いが、建築家としての個性の重視よりも、その場を利用する人の話を聞き、その場を利用する人の姿を想像しながら設計を続ける、人と建築をより近い位置で感じ作品へ落とし込む、これまでに無い別の次元での作家性を目指す高池氏の現在に、大きな影響を与えたのだ。
馬と暮らす曲がり家
独立後、釜石市の復興支援委員のKさんの依頼により、「馬と暮らす曲がり家」のプロジェクトがスタート。
震災により、子供たちがストレスにさられている姿を目の当たりにしたK氏が、馬を連れて子供たちとの触れ合いイベントを開催。子供たちが見る見るうちに元気になる姿を見て、釜石市にホースセラピーの必要性を感じプロジェクトが始動した。
なぜ馬か。馬はとても賢く、コミュニケーションをとる上で人を特定しない事と、長時間という訳にはいかないがいろいろな人と触れ合っていてもストレスを感じにくい生態だという。
また、東北では「曲がり家」と呼ばれる馬と暮らす文化が存在した。馬屋と母屋が合体された住まいだ。
馬と暮らしが相まって「曲がり家」という東北ならでは暮らしが再生し、その場が震災で心を痛めた子供たちの今を支える場に生まれ変わった。
「馬と暮らす曲がり家」には、高池氏がみんなの家を通して体感した「人と作る建築」の思想が随所にちりばめられていた。高池氏は、今回の案件に完成形は求めなかった。費用が限られていた事もあるが、未完成の余白を大切にしていたのだ。完成形を求めず、その建物にずっと「人」が関われるような現状を作り続け、その場を人と人とが共有できる現状を残す。そのことが、今後の曲がり家への利用者の愛着や成長に繋がるのだと感じた。
それこそが、高池氏が目指す「プロセスアーキテクト」の原点なのかもしれない。
また今回、工事に係るワークショップは、釜石市の人口は少ないという事もあり、地域の外から人が来るように声がけを行った。見知らぬ人が集まる中で、同じ目的で同じ方向を目指し一つの物を作り上げた。
このことで何が起こったかというと、昨年の秋に釜石市を襲った水害で、曲がり家を心配した仲間たちが一週間もかからないうちに駆けつけ、片付けや復興の手伝いを行ったという。
ワークショップを共にした仲間の見えない繋がりが、完成から一年後の災害を救ったのである。
共有した時間と仲間が力となり、新たな震災が来ても立ち上がる事ができる見えないバックボーンが、ここにはできていた。
「みんなの家」や「馬と暮らす曲がり家」で地域の外から人を呼び、興味がある人を巻き込んでいく事に可能性を感じたという高池氏。
被災地に入り驚いた事は、復興の支援をされる側よりする側の方が元気をもらった事。
実際に高池氏もその事を肌で感じていた。
何不自由ない普通の生活を送る物足りなさの中、被災地に行き丁寧な暮らしをしているおばあちゃんに出逢い、何かを手伝って「ありがとう」と感謝をされることで、支援に向かった人々が「生きる力」と元気をもらうという。このような体験は、現在に物足りなさを感じているがUターンやIターンに踏み切れない(自分も含め)人たちの居場所作りにつながるのではと感じている。
満たない想いを補充し合うことが結果的に繋がり合い大きな力になる。
都市と地方はないものねだりの関係性があるように思うが、足りない部分を補い合うという高池氏の感覚に、恐れ多いがしっくりときた。
今回は震災がテーマとなっての「建築のちから」であったが、モノが出来上がった後というよりも、ビジョン創造し話し合う段階から、また一緒に作り上げていく過程で発揮されているのだと思う。
その力は、完成された後も継続し残り続けることができる大きな可能性を感じた。
震災を経て体験した新しい建築の在り方を活かし、現在も都市で建築に向き合っている高池氏。
プロジェクトに関係なく利用者の生の声、表情を肌で感じ、その中で建築が持っている楽しさや人と人の触れ合いから生まれる何かを具現化することを大切にし、「プロセスアーキテクト」という新しい形を日々模索し続ける高池氏の熱い姿勢を感じた。
建築のちから
今回のレクチャーを通して、建築とはモノを建てる事で「ちから」を発揮するのではなく、人と人との繋がりの一部となるようなものを作っていかなければならないのだと感じた。
人と言っても「情」だけでなく、その先を見据えたものを。
そして地域の歴史や生活文化を掘り下げ整え、形として再生できるのは建築ならではの魅力であり「ちから」なのではないかと思う。愛着を持たれ、長年に渡って大切に残される、人と行き交う場所、空間とは何か。
人に寄り添う建築について、改めて考えさせられる時間となった。
■ケンペケ08「建築のちから 第一部」 高池葉子 – YouTube
■ケンペケ08「建築のちから 第二部」 高池葉子 – YouTube
【ゲスト】
高池葉子/Yoko Takaike
高池葉子建築設計事務所
1982年 千葉県生まれ
2008年 慶應義塾大学大学院修了
2008年 伊東豊雄建築設計事務所勤務
2015年 高池葉子建築設計事務所設立
2015年 神戸ビエンナーレしつらいアート部門入賞
【執筆者プロフィール】
伊地知 さやか/Sayaka Ijichi
1986年:鹿児島市生まれ
㈱大城
井浦 彩花/Ayaka Iura
1989年:佐多町生まれ
㈱N3.建設
二人は、高校を卒業後、地元鹿児島の工務店で同僚として働き、数多くの住宅/店舗の現場監督を経験。
現在は、別々の会社に所属していますが、『日常の暮らしをもっと豊かに』を合い言葉に、廃材利用家具の制作「暮らしを軸に考えて作る木箱」やオリジナルスープを創作販売する 「Rodor」を結成し、幅広く活動しています。