自在さを獲得した「建築の旅」
開催日:2015年2月28日
ゲスト:光嶋裕介+神吉直人
執筆者:太田則宏
2回目のケンペケは「建築の旅」と題し、光嶋裕介氏をゲストに迎えて開催された。
実は開催間近にこのレビューを書くことが決まったのだが、ゲストの光嶋氏を何か掴みきれないと感じていた。なので、イベント自体は楽しみにしつつも、レビューを書くということには(もちろん私の力不足もあって)若干の不安を感じていた。
雑誌や著作で見るテキストや写真には、現代性と確かな強度のようなものを感じ共感している。しかし、なんとなく自分の建築の引出しにうまく納まってくれない。
その原因は私の引出しの側の問題だろう、という予感がありながらそれが何なのかうまく掴めずにいた。
また、氏の代名詞でもあるスケッチやドローイングが氏にとってどういうものであり、それは私自身の中でどう消化できるだろうか。という思いもあった。
それらを少しでも知りたいという気持ちを持ってこのイベントに挑んだのだが、このレビューによって少しでもその答えに近づけたらと思う。
さて、今回のイベントは前回の反省も踏まえ、レクチャーとディスカッションの二部構成で行われた。
第一部はプロジェクターを使ってのレクチャー形式で、前半は旅のスケッチ等をもとに建築の持つ多様な側面・価値観が示され、後半は実作及びドローイングについての解説がなされた。
飲食タイムを挟んでの第二部は、合気道同門でもある経営学者の神吉直人さんも参戦しディスカッション形式で行われ、アルコールの入ったリラックスムードで話を聞くことが出来た。
その二つの異なる雰囲気の中で、いくつかのことが、違った側面から繰り返し語られているように感じたのだが、それを順に組み立ててみたい。
1.作曲家(譜面)/ドローイング 建築の強度
第一部は一枚の指揮者不在のオーケストラ写真で始まる。指揮者/作曲家(譜面)/奏者のトライアングルが建築に例えられるのだが、指揮者不在の意図は語られないまま、指揮者が登壇したオーケストラの写真で第一部が締められる。
この指揮者不在の写真の意図は何だったのだろうか。
第一部の終盤、氏はドローイングを作曲(譜面)になぞらえ、絵を描くときは(指揮者とは違い)独りよがりの作曲家になれるし、絵を通して「建築に秘められるものや思い」を伝え、問うことができる、と語る。建築家が指揮者であり作曲家であるというのはすぐに思い至るが、指揮者と作曲家が一人の人格の中でここまで明確に使い分けられているとは思っていなかった。
氏にとってのドローイングとは建築の強度を担保するために決定的に大事なものなのであり、特別な人格をもって当たる意義のあるものなのであろう。
この後、最初と最後の2枚の写真が一気につながり、氏の建築の持つ強度のようなものの一因が垣間見れた気がした。
最初の場面、建築家である指揮者は席を外し、作曲家もしくは単なる音楽家(建築を志す人)となって武者修行へと旅立ったのかもしれない。そして、最後の場面で音楽(建築)を届けるために指揮台に戻ってきたのではないだろうか。
また、最近の学生は設計の際に3Dをいきなり立ち上げて検討しそれを2Dに変換することで図面化している、というような話を聞いた。模型をつくりスケッチも書くが私も基本的には同じような方法になりつつある。それは具体的に空間の密度を上げていくには非常に有効だと感じている。しかし、どうやって具体的な検討と建築特有の抽象的な思考を行き来するか、言い換えると建築の強度のようなものをどこで担保するか、というのは大きな課題である。それに対しこのようなドローイングに対する姿勢はひとつの方法として大きな力を持ちうるだろう。
しかし、独りよがりの作曲家になると言っても、本当にただの独りよがりのドローイングが力を持つとは思えない。氏がドローイングに込めた力とはなんだろうか。
2.スケッチのスケール/ブリューゲルの子供の遊戯 人の営みの強度
氏のスケッチは都市を俯瞰的に捉えたものが多く、俯瞰的でありながらそこにはさまざまな人間の営みがありありと感じられる。
また、祥雲荘の解説の際に示されたブリューゲルの一枚の絵では建築の内外の境界を超えてさまざまに遊ぶ子供が描かれている。
さらに、第一部、第二部通していたるところで人間と建築の関係について語られていた。
これらに共通する人間への視線は旅とスケッチを通してストックされ鍛えられた実感の束のようなものであり、それらが確かな強度をもっていることには疑いがない。
そして、そのストックは確実にドローイングの強度、ひいては建築の強度に結びつきそれを支えているものであろうし、おそらくそこには複数の人間、複数の場所、複数の時間の視線が、積み上げられた経験を通して同時に存在している。
まだ実物を見たことがないので想像でしかないが、氏の建築は例えば氏の多くのスケッチのように俯瞰した視点から捉えた時にはじめて理解できる部分が多いのではないだろうか。見る側に様々なものを俯瞰的・同時的に捉える目を要求するような気がするし、そういう準備ができていなかったため”掴みきれない”と感じてしまったのかもしれない。
ここでふいに「モデュロールが厳密な幾何図形を前提とせずとも美しさを担保したから、コルビュジェは形の自由と有機的な野生を獲得できた(※1」というような言葉が頭に浮かんだ。
氏にとってのドローイングはコルビュジェにとってのモデュロールのようなものかもしれない。その背後には同じく人間への愛情のようなものと信頼が透けて見えるし、それによって自在さとも呼べる何かを手に入れたように見える。
3.不連続統一体(U研究室)/合気道 自在さの獲得
全体を通して吉阪隆正の不連続統一体という言葉が何度か現れた。
『吉阪隆正とル・コルビュジェ(倉方俊輔)』によると、不連続統一体はもともとは組織論であり、吉阪はその一員として振る舞ったそうだ。しかし、吉阪が最後の砦としてあることで各人はのびのびと振る舞うことが可能になったようである。同著に光嶋氏をイメージさせる部分があったので長くなるが引用してみる。
彼は「手段」であるはずの集団の「維持」が「目的」と化し、「ぬるま湯」に陥るのを巧みに回避できた。異質な者(物)を投入し、意味深長な言葉で焚きつけ、時に混ぜ返した。方向性を指図するのではなく、場所の温度を温めた。(中略)世間で言う頑固は生真面目に、へそ曲がりは独創に、経験の浅さは捕らわれ無さに変わり、メンバーのそれぞれが、それぞれであることで、つながりあう場所。その存続に、吉阪の役割は欠かせなかった。場所を定義し、もとからあった人や物を見出して活用した。発見的な彼の設計手法が連想されはしないか。U研究室(吉阪研究室)自体が、吉阪の作品だったと言っても良い。彼はパーティーを組んで、建築の「山」を目指した。その頂上にあるのは、たぶん「民家」だろう。(中略)それは濃密な作業によって「民家」の質に近づこうというものだったといえる。(倉方俊輔)
これは光嶋氏の建築に対する姿勢に重ならないだろうか。
吉阪隆正のような砦の部分に重なるのが、光嶋氏にとっての旅とスケッチによる蓄積であり、人間への愛情であり、ドローイングなのではないだろうか。また、それらの先に「民家」の質とも呼べるもの、人間の営みに対する目指しのようなものがありはしないだろうか。
それは核と表現したくなるが中心にあるというよりもっと達観し背後に控える許容力を持ったもののように思う。
この多様なもの、相反する物を融合させるようなあり方は処女作のクライアントでもあり合気道の師でもある内田樹氏との出会いによってより確かなものになったのであろう。
第二部でも合気道について触れられており、「異なったクラスタの友人をごちゃまぜに合わせられるようになった」というようなことも語られている。その根幹にあるのは自己と向き合って得た自己に対する信頼のようなもののようだ。
それが内田氏との関り合いの中で芽生えたものなのか、もともと持っていたものなのかはわからないが、こうして見ると内田氏との出会いは必然であったようにも感じてくる。
そうした中、氏は不連続統一体のような相反するものの中での決定する勇気を磨いていったのかもしれない。
彼の「決定する勇気」は、形態や行動の振幅を超えて一貫している。世界を自らが解釈し、あるべき姿を提案しようとした。あくまで、強く、人間的な姿勢は、多くの才能を引きつけ、多様に受け継がれていった。(中略)吉阪の人生に一貫するのは、<あれかこれか>ではなく<あれもこれも>という姿勢である。ル・コルビュジェから学んだのは、その<あれ>や<これ>を、一つの<形>として示すという決断だった。(倉方俊輔)
ここで唐突だが、『システムの思想―オートポイエーシス・プラス(※2』で書かれた一文を引用したい。
今日のシステムを特徴づけるのは、自在さの感覚である。(中略)自在さは、自由とは異なる。(中略)自由とはどこまでも意識の自由だが、自在さは何よりも行為にかかわり、行為の現実に関わる。意識の自由を確保することと、行為の自在さを獲得することは、およそ別の課題である。この自在さを備えたのが今日のシステムである。(河本英夫)
ここではシステムの視点から自由さと自在さの違いが語られている。それは建築に向き合う態度として本質的な違いのように思うし、私は意識の自由さよりは行為の自在さ、自由な建築よりも自在な建築に可能性を感じている。
自在さということを考えると、光嶋氏は旅やスケッチ、内田氏との出会いによって私のイメージを超えた自在さを獲得したのかもしれない。それはこのイベントを通して光嶋氏の人柄全体から感じられたことでもあった。
また、少し変な表現になるが、自在さが本人を追い越してしまったというか、自在さを光嶋氏自身が自在に乗りこなすにはまだ先があるようにも感じた。
その未来のある自在さが、近代的な建築に対する感受性が染み込み身体的自在さを未だ獲得できていない今の自分の引出しにはうまく納まらなかった。これが、光嶋氏を掴みきれなかったもう一つの原因かもしれない。
このレビューを書くことによって掴みきれないと思っていた建築家が今後の展開が待ち遠しい建築家になった。
自在さの先にどんな建築の風景を見せてくれるのか、どんな作曲をし、どんな自在さをもってあの指揮台に上がってくれるのだろうか。楽しみである。
4.おわりに
さて、自分自身の問題として何を建築の強度の源泉にできるか、という問いは絶えずあり続ける。それに対する答えは必ずしも氏と同じとは限らないが、自らの道を切り開きながら絶え間なく歩み続ける姿には、多くの人がそれぞれの「建築の旅」を続けることの勇気と希望をもらえたのではないだろうか。
一方でこのケンペケというイベントは凝り固まったレールに乗ったものではなくある種のゆるさのようなものを持っているところに掴みきれない可能性のようなものを感じている。
しかし、ケンペケが今後「みんなの家」のような存在になり成長していくためには、ゆるさを失うことなく自在さを持ち続けるための何かが見出される必要があるのではないだろうか。
まだそのための旅の途中といえるのかもしれないが、その旅にお付き合い下さったゲストの方々には感謝の言葉しかない。旅を続けその先にあるものを見つけることがその厚意に応える一番の道なのかもしれない。
※1 以前読書録を書いた『ル・コルビュジエのインド(彰国社 2005)』の後藤武氏の言葉の要約。ここでの引用文も光嶋氏を連想させる。
※1 『システムの思想―オートポイエーシス・プラス(東京書籍 2002)』河本 英夫 (著) 10年以上前の対談集。ここでは河本氏自身の自在さが際立っていた。
■20150228ケンペケ02「建築の旅 第一部」光嶋裕介 – YouTube
■20150228ケンペケ02「建築の旅 第ニ部」光嶋裕介 – YouTube
【ゲストプロフィール】
光嶋 裕介/Yusuke Koshima
建築家/architect
1979 – 87 米国ニュージャージー州生まれ
1987 – 92 奈良在住(小学校)
1992 – 94 カナダ、トロント在住(中学校)
1994 – 95 イギリス、マンチェスター在住(中学校)
1998 早稲田大学本庄高等学院卒業
2002 早稲田大学理工学部建築学科卒業
2004 早稲田大学大学院修士課程建築学専攻卒業(石山修武研究室)
2004 – 08 ザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツ(ベルリン)勤務
2008 – ドイツより帰国し、光嶋裕介建築設計事務所主宰
2010 – 桑沢デザイン研究所にて非常勤講師就任
2011 – 12 日本大学短期大学部にて非常勤講師就任
2012 – 首都大学東京にて助教就任
2013 – 大阪市立大学にて非常勤講師就任
AWARDS
凱風館 ・SD REVIEW 2011 入選
著書
・幻想都市風景
・みんなの家。建築家一年生の初仕事
・建築武者修行 ―放課後のベルリン
・死ぬまでに見たい世界の名建築なんでもベスト10
【執筆者プロフィール】
太田 則宏/Norihiro Ota
1975 奈良県五條市生まれ
1989 屋久島へ移住
1998 大阪市立大学工学部建築学科卒業
1999 東京設計学校卒業
1999-2001 MAGIC BUS BUILDINGWORKSHOP(東京)勤務
2002 鹿児島国分市に妹夫婦の住宅建設のため大工見習いに。
2002- 末吉建築事務所(鹿児島)勤務
2010- オノケン/太田則宏建築事務所主宰